マスクな時代。

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電車でマスクが顎にかかって
鼻と口がむき出しになっている人を見ると
見てる自分の方が恥ずかしくなるので
三谷さんの言葉で
みんな一緒なんだなぁと
嬉しくなった。

マスクが下着のようだ。

外れてる顔を見るのは
恥ずかしいと思う自分が
おかしいのかな?と
思っていたので。

古畑任三郎

田村正和さんが神に召された。

テレビっ子の自分が三谷幸喜のドラマに出会って
追いかけていろんな作品を見てきたけれど。
三谷さんのドラマは全て面白いと断言出来るのだけれども。

今、古畑任三郎を見て
嗚呼、このドラマは三谷幸喜のドラマではなくて
田村正和のドラマだったんだなぁと
思わされた。
田村正和古畑任三郎古畑任三郎
田村正和でなければならない。

テレビの歴史も長くなり
後世に残るドラマがいろいろたくさん出てきましたが
私にとって田村正和古畑任三郎
完璧な残すべきドラマだと思います。

三谷さんには悪いけど、これは田村正和のドラマやった。

おちょやん

終わってしまった。
喪失感で悲しくなってしまう。
いろんな人の感想を読むけれど。
良い評価をされていない人もいることに
びっくりする。

私がいちばんのめり込んだきっかけは
貧困で苦しんでいる子ども達が
しっかりと大地を踏みしめて生きているところ。
子ども達を支える大人がまた、
とても素晴らしいところ。

先生の台詞「普通やないところが普通」
岡安の旦さんが字を教えてくれたり
仮病を使う一平を温かく見守ってくれたり。
みつえと福助も子どもやったけど
大人の影響か千代らを蔑むようなことはなく
一個の個人として対応してた。

現実の子どもたちをイメージしてしまって
こういう大人があの子達に居てるやろうかと思っては
どんどんのめり込んでしまいました。

発言の自由や個人の思いを尊重される時代になってけれども
個人個人の違いに対して(考え方や見た目とかも)
窮屈になったんやなぁと思います。

そういう視点で見てはのめり込み
涙、涙の朝ドラでした。

さびしいわぁ。

おちょやん

いろいろ思い、感じている。
デトックスか?っていうくらい
涙がダバダバ出てくる。

悲しかったり
寂しかったり
嬉しかったり

そういういろいろなことが
琴線に触れてダバダバだば。

で、
ここに記しておきたいことは
役者という仕事は
自分の恥ずかしいところを
人に見せるのが仕事なんやなぁ
と、いうこと。
ん〜、自分を傷つけて
自分の血を見せて成立する仕事なのだと
なぜか、おちょやんを見て
そう感じたのである。

私には出来ないなぁ。
若いのに、千代にも一平にも
尊敬する。

エール

新型コロナ禍で朝ドラは本当に大変やったやろうし
私は少なくとも何も変わらない日常が続いているように
朝ドラがそんな風に思わせてくれていたので
本当にありがたかった。

だけども
ドラマの感想として記録しておきたいと思う。

連続ドラマとして
不足してることがあったと思う。
面白くなるために
これを切り捨てても良いのか
私自身はやっぱりこれは連続ドラマとして
大事にしておいて欲しいと思う。
それは伏線が全然ないというところ。

唐突に浩二はリンゴ農園の娘と結婚したり。
長崎の闘病中の素晴らしい先生は
あれ以降、どうなってしまったのか。
なんか、そういう情報を少しだけでも
匂わせて欲しかった。
鉄男のラブな雰囲気はどうなったのか。
結婚したあとのプリンスはどうなったのか。
雰囲気だけでも情報を添えて欲しかった。
半年の連続ドラマだけに。。。。

ノリや勢いを大事にするばかりで
結局は登場人物が大切にされていないような
そんな気分になってしまいました。
勢いだけでものごとを進める辺りは
戦時下の日本のような気分になってしまったのです。

新型コロナが原因で伏線がはれなかったと思いたい。

アンという名の少女

高畑勲の「赤毛のアン」好きな自分が
楽しみにしていたドラマなのですが
ちょっとちがうなぁ〜と思っているところです。

外国ではこれくらい現実的なものが
好まれるのでしょうか?

虐待的な場面が出るし
トラウマに苦しんでいる場面もあるし
マリラが厳しすぎるし
アンの素行が悪すぎる

なによりもマシュウが
素朴で優しい柔らかな感じが
ドラマの人では足りないのです。

英語だと感じるものかと
英語でも見るのですが
やっぱり何か違うのですよ。